LLL トゥディ #4 – カロリーナ・エヴァンス・デ・ビジャに捧ぐ

私は大人になるまで、母がラ・レーチェ・リーグのリーダーであることの意味を十分に理解していませんでした。

学校から帰宅すると、リビングルームは母親と赤ん坊でいっぱいだったことを覚えています。

ある時、私たちはアメリカ人女性をもてなしました。私のつたない英語では、このゲストの重要性が理解できませんでした。数年後、写真を見て、この女性がLLLの創設者の一人であるマリアン・トンプソンであることがわかりました。

母は子どもたちに母乳を与えることを夢見ていました。しかし、私の3人の兄のときはうまくいきませんでした。たまたま私が赤ん坊の頃、母がシカゴの実家を訪れていたとき、雑誌の小さな広告で授乳中の母親をサポートする広告を見つけました。 母はすぐさまその番号に電話をかけました。その電話以降、私はその恩恵にあずかることができました。母は私が3歳になるころまで母乳で育ててくれました。

今日、私は、母がリーダーになるきっかけを作った赤ちゃんが私であったことを知り、深く感動しています。母乳育児をする母親になり、LLLリーダーになるという母の道のりを、私はほとんど覚えていません。ただ、リビングルームが母親と幸せそうな赤ちゃんでいっぱいだったことだけは覚えています。また、交通手段のないたくさんの女性たちを送迎していたことも覚えています。彼女は私の父の古い緑色のジープに女性と赤ちゃんを乗せて、ダウンタウンのドラ・ルズの美しいコロニアル様式の家まで運転していました。少なくとも20人以上の女性たちが、どんなことがあろうと母乳で育てると決めたときに、そのパワーと決意を感じさせる唯一無二の空間を共有していたのを覚えています。

母がそうしたミーティングから帰ってきたときのことを覚えています。彼女は輝いて見えました。

母が国際カンファレンスから帰ってきたときのことを覚えています。母はより一層元気になり、とても幸せそうでした。

私の母に会った人は、母が優しさにあふれ、それでいて謙虚であることを知っていました。自慢するような人ではなかったので、私が大人になって初めて、母がコロンビアでラ・レーチェ・リーグを始めた人だと理解しました。そして彼女のおかげで、コロンビアだけでなくラテンアメリカ中で多くの女性がリーダーになったのです。

父は地域開発の仕事をしており、コロンビアの恵まれない人々を助けようと努力していました。父は母乳育児に取り組む母を常に支え、励ましていました。健康な子どもは、平和と繁栄が支配する社会の基盤であり、母乳育児は不可欠なことであると、父は理解していたのです。

母を知る人なら、母が無限のエネルギーを持っていたわけではないことを覚えているでしょう。母に続く他のリーダーたちのプロジェクトや決意、仕事ぶりを褒めていたのを覚えています。しかし、物静かで謙虚な彼女の影響力は、他に類を見ないものでした。

母を知る人は、母乳育児と良質な栄養への彼女の献身はキッチンにも及んでいたことを覚えています。何年も前、オーガニックやベジタリアンフードがまだ流行していなかったころ、カロリーナはすでに動物性タンパク質を必要としない素晴らしい料理を作っていました。

愛犬の美しいジャーマン・シェパードが11匹の子犬を産んだとき、彼女の母乳育児への思い入れの深さを感じたことを覚えています。我が家はベジタリアンでした。だから、母が肉屋から巨大な骨を持ち帰り、大きな鍋に突っ込んで、数時間後にタンパク質たっぷりのスープができたときには衝撃を受けました。それは自分の子どものためではなく、犬のためだったのです。彼女の言葉を借りれば、やんちゃで汚いからという理由でペットをかわいがっていなかったカロリーナが、LLLでの経験と授乳中の生き物への愛情を動物の世界にまで持ち込んだのです。

電話が鳴っていたことも覚えています。古い黒電話が廊下で鳴り、やんちゃな兄たちが出ました。やわらかく疲れた声と、後ろで泣く赤ん坊の声が聞こえると、彼らは相手に聞こえないように受話器を押さえて、牛が子牛を呼ぶ真似をしてモーと鳴くのです。唯一、穏やかな母がイライラしているのを見せるときで、母は彼らの手から電話を取り上げると、そのような表情を見せたものです。 一瞬にして、彼女は素晴らしい慈愛に満ちた自分になり、また一人の母親に愛情深いサポートを提供するのです。これはおそらく、女性をサポートする技術について、私が最初に学んだことで、この姿勢は現在、私が看護師や授乳コンサルタントとして働いている際にも、見習うようにしています。

当時、母親たちとのコミュニケーションといえば電話か手紙でした。インターネットはもちろん、ソーシャルメディアも存在しませんでした。私は母がダイニングテーブルの前に座り、猛烈なスピードでタイピングし、紙とカーボン紙を山ほど挟んで、最後の一枚を最初の一枚と同じように鮮明にしようとしていたのを覚えています。彼女はラテンアメリカ中のリーダーたちに長い手紙を書いていました。彼女はリーダーたちを導く使命がありました。そのような栄誉に値したでしょうか?今回もまた、謙虚で物静かな母は少しも自慢することなく仕事をしていたため、私には何もわかりませんでした。

ファックスが登場して、彼女の生活はとても楽になりました。彼女は意気込んでタイプする必要がなくなりました。魔法のような小さな機械の助けを借り、1枚書くだけで、ペルーのリーダーの1人が数分以内に彼女の言葉を読むことができるのです。

母乳育児についての本を書くよう彼女に勧めたのは、私の父だったと思います。  これが『Querer es Poder(仮訳:意志あるところには道がある)』の始まりです。父の誘拐によって、このプロジェクトと母の心は、真っ二つに切り裂かれてしまいました。しかし数年後、彼女はそれを完成させることができました。献辞がすべてを物語っています:

この本を夫アルバロ・ビジャの思い出に捧げます。
その熱意によって、執筆を始めることができました。
そしてその遺産が、私に本書を完成させる力を与えてくれました。

両親が夫婦で行くことができた最後の旅行のひとつは、エクアドルのキトで開かれたLLLの地域リーダー会議でした。司会者が部屋を回り、人々に自己紹介を求めていました。父はおそらくその部屋で唯一の男性で、片隅に静かに座っていました。

「そしてそこの男性は?」と司会者が尋ねました。

すると、やんちゃでチャーミングな父が答えました:「私はカロリーナの運転手兼夫で、30年もの間、リーダーになろうとしているのですが、彼らは私の申請を却下し続けているのです!」

私の両親は間違いなく指導者であり、時代を先取りする人物でした。このことを私が理解したのは、大人になってからでした。今日、自分をアルバロとカロリーナの娘と呼べることを光栄に思います。母乳育児の推進は、彼らが奉仕のために行おうとしていたすべてのことのほんの一面にすぎませんでした。今日、私の私生活と仕事上の原動力は、すべて母のおかげだと認識しています。母は、母乳育児において女性をサポートする術は、母親とその赤ちゃんを助けることにとどまらないことを理解していました。よい母親とは、間違いなく人類の幸福を支える構造体です。

私の母、そして世界中の何千人ものリーダーたちが祝福されますように。


マリア・サラ・ヴィラ